地震の教訓…なんて無い 防災グッズはその後に必要な物

 地震の教訓なんて軽々しく言えない

被災者の経験を教訓に…。

知らない世代に伝えたい。

先日テレビで言ってました。


教訓なんてあるようでないと思います。

被災したといっても状況も人それぞれ

辛さも恐怖も、経験しないと伝わらないかもしれない。

あの地震の『教訓』なんて軽々しく言えないですが、

ただ、何故か生き残ってます。


語り尽くせないですが

あの時の心境だけでも少し書き残しておきます。


理由はわからない

少し離れた地域では火事が起こり、

建物が崩れ、高速道路は倒れました。

我家は半壊ぐらい。


外は1本道が違うだけで被害が全く違いました。

断層から離れていたのか?

揺れ方の向きが違ったのか?

建物の構造なのか?

理由はわかりません。

不思議な光景でした。


なぜ助かったのか?

その時間その場所にいたからそうなった。

ただそれだけです。


火が消せない

あの日ライフラインで復旧が早かったのは電気でした。

水やガスは遅かった。

テレビをつけるとあちらこちらから煙が上がっている映像が映っています。

次々と炎が上がる街をただ呆然と見ているだけでした。


早く消して…。

あっ水がない…。


普通でない状況がまだ飲み込めていませんでした。

消防車からの放水は心もとないほど細かった。

頑張っているのにホースから水が出ない…

なにもかも想像していなかったことです。


しばらくするとテレビの映像は

みんな徒歩で出勤する様子になりました。

こんな状況なのに日常に戻れる人達もいる。

いや戻りたくなかった人もいるでしょう。

頑張って黙々と歩いていました。

必死で日常を送ろうとしたのでしょう。

状況は人それぞれ違いました。


隣の県では普通の日常が流れている全くの別世界です。

普通にお風呂に入ってテレビを見て

温かい食事を食べて温かいおふとんで寝られる。

なくなってわかりますね。

日常って貴重です。


長い余震

地震は終わってから恐怖が来ます。

潰れた家や被害の状況がだんだんわかってくると

恐怖が湧いてきます。


いつ ここも 潰れるか わからない。

余震が起こるたび、生後3ヶ月の子を抱きあげ

家が崩れてもせめて屋根に押しつぶされないようにと

毎回、子の頭を胸に包みました。


特に夜の余震は怖かった。

家が潰れる恐怖は今でも抜けません。


近頃テレビでは

『災害から身を守りましょう』

『命を守る行動を』

簡単に言うけれど

言われるたびに緊張します。


防災への備え

それでも経験して備えていることはあります。

家具やテレビは転倒防止グッズで固定する。

食器棚は開き戸ではなく引き出し式にする。

寝室には家具を置かない。

出入り口に防災グッズを入れたリュックなどを置いておく。

食料や日用品の備蓄。

トイレ用品、太陽光充電、などなど


用意はしていますが

それは命が助かった

その後に必要な物。

今度も助かればいいなと思いながら

防災グッズの点検をしています。


あれから27年が経ち、ボランティアや仮設住宅など

バックアップ体制は早くなりました。


でもあの恐怖はもう味わいたくない…。

地震の恐怖なんて知らないなら知らないでいいと思います。